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2011年6月

今号の内容

大学医局紹介 琉球大学

琉球大学第一外科の医局では、外科医の減少にあえいでいた。2003~2004年の志望者は「ゼロ」だった。ところが、ある"秘策"を実行したところ、2011年の入局者は5名にまで増加したという。

東日本大震災 現地からの報告

3月11日に起こった東日本大震災。岩手県も甚大な被害を受けた。盛岡市にある岩手医科大学医学部の若林 剛教授は、情報が十分ではない中、同僚の医師8人と沿岸部の各主要病院に応援に向かった。

インタビューにお答えいただいた先生のご紹介

略歴やお写真のご紹介をしております。

大学医局紹介 Vol.1 琉球大学

~ 若手に手術を託し、外科志望率UP ~

なぜ外科医を志望する若手が減っているのでしょうか?

西巻 正先生(以下西巻) その原因を探るため、2008 年の12 月から、琉球大学医学部第一外科の医局員27名に無記名アンケートを実施しました。その結果明らかになったのは「長時間労働」「少ない休暇」「(そのわりに)低い報酬」の3点に不満があるという現状でした。たとえば、一日10時間以上勤務している医局員は、一般病院で50%に対し大学病院では100%、12時間以上は一般病院で12%なのに大学病院では78%でした。さらに、大学病院では64%の医局員が1カ月あたり7回以上当直をこなし、すべての医師が当直翌日も平常勤務しているのです。このような勤務のわりに、年収800万円以上の医師は64%と、一般病院の94%と比べると報酬が低いのです。これでは、若手が外科医を志望しないのも納得がいきます。

このような過酷な状況が今に始まった訳ではありません。この状況でも外科を選ぶ医師は立派だと言えます。

西巻 第107回日本外科学会で大阪大学の門田守人先生が「このまま外科志望者が減少し続ければ近い将来に外科志望者がゼロになる」との試算を述べましたが、背筋が凍る思いでした。このままの教 育方法では、われわれ琉球大学医学部は おろか、将来の沖縄県の医療体制が大変なことになると心底感じたのです。これはもう「最近の若い医師は」と嘆いていてもしょうがないと。

そこで、若手医師の実情を調べようと、2008 年末から2009年始めにかけて RyuMIC プログラム(琉球大学医学部の 教育研修制度)に参加している研修医31名にアンケートしました。加えて医学部 のM3の学生60名とM5の学生37名にも、外科系講義後と臨床実習後に質問表を配りました。「外科に興味がありますか?」との質問に、M3 では78%、M5 では94%、研修医の87%が「興味がある」との回答がありました。「外科を志望しますか?」との問いには、M3では10%、M5では30%が「志望する」と答えてい ます。ところが研修医に同じ質問をする と、「外科医を志望する」と答えたのは1 名(3%)のみでした。研修医の多くが、外科医を敬遠する理由として「長時間勤務」を挙げていました。

外科医の志望者が減っている現状は、医師なら誰しもが肌で感じています。アンケートを行い定量的なデータを集め、あえて厳しい現状を明らかにしたのはなぜですか?

西巻 最初に行った医局員へのアンケートで、1つ光明があったのです。「もし、あなたが大学卒業時点に戻れたら、また外科医を志望しますか?」との問いを設けました。その質問に81%が「Yes」と答えたのです。これは、外科医が自分の仕事に高い誇りと倫理観を持っていることの証です。外科医であればわかる「外科医であり続ける理由」があるからこそ、それを突き止めて、もう一度若手医師に訴えたいと思ったのです。それにはまず、今の研修医や医学部の学生が何を感じているのかを把握しておく必要があると思いました。

研修医と医学部学生のアンケートから、何が見えてきましたか?

西巻 外科志望を阻害する"負のスパイ ラル"が起こっているのがわかりました。 外科医の不足が過重労働を引き起こし、余裕のない勤務状況が外科医のイメージダウンをもたらす。指導医が熱心に教育できないと、当然外科医の志望者は減り、さらに勤務は過酷さを増して、離職につながっていくという循環です。このスパイラルを断ち切ることから、外科医不足解消に乗り出しました。

具体的にどのような改革を行ったのですか?

写真:琉球大学 医学部 外観

西巻 "改革"と呼べるほど大それたことはしていません。私の個人的な経験を内省的にひも解き、まずはトライしてみただけです。私がまだ新入医局員のころ、訳がわからない手術の鉤引きを何時間もさせられたときは、耐え難い睡魔と格闘したものですが、同じ手術でも第一助手や術者と なったときはまったく眠気を感じませんでした。これは外科医なら皆がわかる経験でしょう。つまり、外科医としてのスキルアップにつながる業務は、あまり苦痛ではないということです。そこで、若手の外科医にもたくさん手術をしてもらうことにしたのです。

まず最初に、指導医が手術を行って若手の医師にその手技を印象付ける。次に、自分が前立ちとなって若手に同じ仕上がりの手術をさせて、外科の醍醐味を感じてもらう。それ以降は、できるだけ若手に術者を任せて、自分は前立ちで手術を指導する、という手順です。気をつけているのは、「お召し上げ」と「術後は診ておけ」にならないことです。若手に術者をさせれば、ベ テランの仕事は軽減しますし、術後も若手医師自らが進んで患者のベッドサイドに行くようになるものです。

「若手に術者をさせるのは言語道断。手術のクオリティを下げてはいけない」という外科医もいます。

西巻 そのとおりだと思います。医師として手術のクオリティは必ず担保しなければなりません。私が最も危惧しているのは、現在の手術のクオリティよりも、将来のクオリティです。ベテラン医師と同じ手技を持った外科医を何百人も育てることこそ、将来の手術品質を担保する唯一の方策です。それが大学医局の使命だと感じています。

ただし、現在の手術のクオリティをさげないよう当大学では、ルーキーの医師が術者となるときは、各臓器のトップ外科医を 第一助手にするなどしています。手術時間はかかっているのは確かですが、仕上がりの品質は、ベテラン外科医と同じになるように配慮しています。当然、手術のクオリティが下がる可能性があるときは、第一助 手がかなり手助けすることもあるでしょう。それはそれで、若手医師の発奮材料に もなります。手術を通じたコミュニケー ションをきっかけとして外科医に憧れが生まれれば、しめたものです。人間は、尊敬を抱く人間のもとで研鑽を積みたいと思うでしょうから。熱意を持った指導医と研修医の関係こそ、外科系の医局員を増やすことにつながると確信しています。

「熱意を持った指導医と研修医の関係」と聞くと、医局制度改革前の前時代的な関係と似ています。

西巻 似ているというより、同じです。人間の本質はそれほど変わらないと思います。30年ほど前に私が医師になったころは、熱意のある指導医に誘われて酒を飲んだり遅くまで指導を受けたことで、外科医を目指した人が少なからずいました。それは今も同じです。指導医と研修医のラポール(親密な信頼関係)が切れないよう、個人的な付き合いと熱心な指導を欠かさないことが、外科医を増やす指導の本質だと思います。実際に、大勢の研修医を前に、型にはまった医局説明会やプレゼンテーションをどれだけ行っても、あまり手ごたえがありません。

「研修医や学生への熱心な指導」とは、具体的にどういうことをするのでしょうか?

長濱 正吉先生(以下長濱) 私が医局長として気をつけているのは、外科に興味があって熱心な学生・研修医には、研修後にも追加して指導したり、できる限り学会に連れて行ったりします。手術に立ち合わせたり、アッペ(急性虫垂炎)などの簡単な手術をさせたりすることも効果的でしょう。たとえば先日は、2カ月の外科研修を受ける研修医と外科実習を受ける医学生 全員に、書籍「きみが外科医になる日」(講 談社)を配りました。とにかく、外科の世界に触れてもらうことが、外科医増加の第 一歩だと思います。

実際に効果は出ています。2003 ~2004年は、琉球大学第一外科の新入医局員はゼロでした。2005 ~ 2006年は2名いたものの、2007 ~ 2008年は1名のみでした。しかし、西巻先生の呼びかけで取り組みを始めたところ、2009 ~2010年は3 名が入局。2011年度は5名にまで伸びました。徐々に女性の医局員も増えています。

外科志望の女医を増やすため、どのような取り組みをしていますか?

長濱 特別に何かをしているわけではありませんが、どのタイミングでも外科医としてスキルアップできるように配慮しています。女性が外科医になろうとすると、どうしても妊娠・出産・育児がボトルネックになります。女医自身が最も恐れるのは、妊娠・出産・育児のブランクが、外科医としてのキャリア形成に大きく影響してしまうことです。そこで、ライフイベントによってブランクがあっても、以前と同じプログラムで手技のスキルアップができる仕組みを用意しています。もちろん、妊娠中や育児中は、時短勤務や十分な休暇などが可能なように配慮しています。当医局では今後も、外科を志望する女性研修医を積極的に取り込みたいと思っています。

若手外科医インタビュー

写真:インタビューの様子
  • 消化器・腫瘍外科学講座(第1外科)
    島袋 鮎美 医師(27)
  • 消化器・腫瘍外科学講座(第1外科)
    中川  裕 医師(29)
  • 消化器・腫瘍外科学講座(第1外科)
    上里 安範 医師(27)
外科を選んだ理由は?

上里 ある病院で研修していたとき、ある外科医師から指導を受けました。手技もさることながら、人間的にも非常に魅力的 だったのです。「私も彼のような医師にな りたい」と思い、外科医を選びました。

外科を選んだとき、周りの反応は?

中川 正直に言えば、惰性的に科を選ぶ同期もいましたが、私は手術にやりがいを感じました。人それぞれだとは思いますが、私は器質的な違いが明らかだという点で、内科よりも外科がわかりやすかったのです。特に両親や仲間から反対されたことは ありません。

家庭との両立は難しくないですか?

上里 予想していたほど長時間勤務ではなく、深夜まで勤務することもそれほどないので、まだハードワークと感じることは ありません。覚えなきゃならないことは多いと感じることはありますが、逆に「外科をやっていると医師として応用できる範囲が広い」という実感はあります。自分が執刀した患者だと、自ずと術後管理にも熱が入ります。

外科を選んだ理由は?

上里 ある病院で研修していたとき、ある外科医師から指導を受けました。手技もさることながら、人間的にも非常に魅力的だったのです。「私も彼のような医師にな りたい」と思い、外科医を選びました。

家庭との両立は難しくないですか?

島袋 夫をはじめ家族の協力がないと、厳しいでしょう。現在妊娠中ですが、できれば外科医としてスキルアップしたいと思っています。幸い、第一外科でも出産・ 育児を経験している先輩がいますので、とても励みになっています。乳腺科をはじめとして、外科系の女医が活躍できる場面はあります。他の同期とは同じペースで手技のレベルは上がらないかもしれませんが、家族の協力を仰ぎながら、外科医として活躍していきたいと思います。

東日本大震災 現地からの報告

岩手医科大学医学部 外科学講座 教授 若林 剛 先生

2011年3月11日に、東日本大震災が発生した。私がいた岩手県盛岡市は震度5強だったが、地震により建物が崩壊したり、それによって死者が出たということはなかった。テレビやラジオから、岩手県沿岸部がとんでもないことになっていることがわかってきたので、3 月14日に岩手医科大学外科の医師8人で、沿岸部に出向くことにした。気仙沼病院や大船渡病院、釜石病院、宮古病院などに、われわれの同門の院長がいたので、まずはそこに向かった。それらの病院は幸いにも高台に位置していたため、大きな被害はなかった。私が大船渡病院に出向くと、院長が「大学との通信が途絶えて、どう応援要請をしていいのか見当もつかない中、来てくれてうれしかった」と話していた。

医療支援の初動は非常に早かったという。物流が止まっていたために医薬品こそ、震災後1週間は補充されなかったが、DMAT(災害医療派遣チーム)と日本赤十字社の動きが早かった。震災の翌 日(12 日)には、DMAT から派遣されている秋田、兵庫、青森、長野、神奈川、埼玉、富山、東京、新潟、山口、鳥取のチー ムが岩手に入っていた。ただし、震災後 数日は大津波警報が出ていたので、実際に被災した地域に医師たちは立ち入ることができなかった。DMATのチームの中には、阪神大震災の時にたくさんいたクラッシュ・シンドロームの訓練を受けていた医師もいたが、結局は各地の基幹病院の救急センターの手伝いをしていたと聞いている。

一方、私が所属している岩手医科大学も初動が早かったと言える。小川彰学長は被災直後に「東北地方太平洋沖地震 緊急対策会議」を設置し、「附属病院災害対策本部(医務課担当)」「災害地域医療支援室(企画課担当)」「学生支援対策室(学務課担当)」と3つの組織を設置。県とタッグを組みながら、全国から集まってきた50チーム医療団の担当わけ、いわば"交通整理"をしていた。たとえば「ハーバード大に医療留学をしていたが、何か支援できないか」とか「自分はもう高齢だが役に立ちたい」といった医師の申し出が、県などの自治体に直接寄せられる。それらの情報を集約して、医師を適時に派遣するわけだ。災害当初こそ「連絡ミスから、AチームとB チームが同時刻に同じ被災地に来てしまった」などのバッティングが多かったものの、次第に統率でき始め、被災後1週間後から今に至るまで、岩手医科大学の各組織は十分に機能している。

震災医療の特徴と今後の課題

今回の大震災で特徴的なのは、地震よりも津波の被害で訪れる患者が多いことだ。これまでの集計によると、死者の96%が、津波のために亡くなったといわれている。私が支援していた大船渡病 院に来た患者(3月末までで1574 名) のトリアージ・タグを見ると、黒(死亡)が9名、緑(軽症)と黄色(中等症)が 424 名、赤(重症)が1140名となる。中でも、高血圧や糖尿病などの慢性疾患の処方受診者が8234名と多く、薬剤師が患者と直接ヒアリングしながら、服用していた薬を特定するという作業が続いていた。

東日本大震災を間近で経験して、2つの課題がとても大きくのしかかっていると感じた。1つは、家がないという状態をあまり長引かせてはならないということだ。プライバシーがない状態での集団生活はとてもストレスが溜まりやすい。体の不調を訴える人の中には、血圧が200mmHg あったり、消化管出 血・消化管穿孔などの消化器系疾患があったりする。ストレスからくる疾病がかなり多い。一刻も早くストレスを下げるためにも、仮設住宅の建設は急務だ。だからといって仮設住宅の建設はそれほどすばやくは進まないだろう。もともと三陸地域は、平地のほとんどが沿岸部にあるため、仮設住宅をどこに設置するのかが問題になる。そのため、約5万戸くらいの仮設住宅が必要なのに、3分の1程度しか着工しておらず、完成したのも4千戸程度だ。

もう1つは、仕事のない状態が被災者を追い込んでいるということだ。漁業の 被害総額が1110 億円、農業が77億 円、林業が185億円といわれている。また、IHIやトヨタ、三菱化学といった企業の下請け工場も数多く被災した。福島第一原子力発電所の事故の影響で、さまざまな産業で風評被害もある。経済が復 興しなければ、十分な医療も提供できない。経済的にも、1日も早い経済復興が望まれる。

今後の医療支援の際に問題となるのは、被災病院の集約化だろう。もともと集約化の必要性が叫ばれていた山田病院や大槌病院、高田病院などが津波で大きな被害を受けた。幸い、これらの病院 の周囲には、大規模で急性期機能を十分に要した2次診療病院がある。それらの急性期機能を活性化させ、復興のタイミ ングを図りながら、被災した病院の役割をもう一度見直す必要がある。

私が個人的に心配しているのが、がん患者のことだ。慶應義塾大学病院から岩手医科大に移って6年目になるが、その間に全身麻酔手術症例は800から1 200へと増えた。このほとんどががん患者だ。がん患者の多くが被災したが、ちょっとした体の不調に気がつけていない可能性がある。家族を失い、避難所での共同生活でストレスを溜め、職を失って今後の生活の不安もある。「経済的に不安だから病院へいけない」とか「震災に比べたらがんなんて小さなことだ」と思っている人もいるだろう。今年の検診率も下がるかもしれない。そうなると、がん症状が悪化したり、早期発見が遅れたりする可能性がある。

ただ、嘆いてばかりもいられない。子どもたちは、震災がなかったかのように元気でいる。この子たちが20~30歳になったときには、再び日本が活力を取り戻せるよう、子どもたちの笑顔を糧として1日でも早い復興を支えていきたい。

インタビューにお答えいただいた先生のご紹介

大学医局紹介 Vol.1 琉球大学

写真:西巻 正 先生

琉球大学大学院
第一外科教授

西巻 正 先生

昭和54年 新潟大学医学部卒
昭和60年 新潟大学大学院医学研究科修了
平成4年 新潟大学第一外科助手
平成9年 同 講師
平成12年 同 助教授
平成14年 琉球大学第一外科教授
現在に至る

写真:長濱 正吉 先生

琉球大学大学院
第一外科助教

長濱 正吉 先生

琉球大学医学部

東日本大震災 現地からの報告

写真:若林 剛 先生

岩手医科大学医学部 外科学講座 教授
若林 剛 先生

医学博士
岩手医科大学外科学講座 教授、岩手医科大学附属病院 外科部長

1982年慶應義塾大学医学部卒業、ハーバード大学外科留学、慶應義塾大学一般・消化器外科専任講師を経て2005年9月より岩手医科大学外科学講座教授、専門は一般・消化器外科とくに肝胆膵疾患、肝移植、内視鏡外科、2007年1月に岩手県初の生体肝移植を成功させたが、からだにやさしい外科治療も実践している。日本外科学会、日本消化器外科学会、日本肝胆膵外科学会、日本内視鏡外科学会、日本小児外科学会などで要職を努める。