特定非営利活動法人 日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会(若手外科系医師を増やす会)

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手術シミュレータやベテラン医師の講演を楽しむ
長崎で第4回きみが外科医になる日セミナー

目次

基調講演 きみが外科医になる日
長崎大学 名誉教授・長崎市民病院理事長 兼松 隆之先生

写真1

英王立科学研究所のスーザン・グリーンフィールド所長は、著書「Tomorrow's People(2003年)」の中で、21世紀に途方もなく変化する分野として「遺伝学」「ナノテクノロジー」「ロボット工学」の3つを挙げている。医学においては、ダヴィンチをはじめとしたロボット手術が現実のものとなり、米インディアナ大学ではロボットが手術の器械出しをするトライアルが始まった。また、ハーバード大学では「DNAウォーカー」という名前のナノロボットの開発を進めているという。だがこれらの技術は、まだ夢の世界のように映るかもしれない。
肝移植の分野は、かつての私にとって夢の世界の話だった。世界初の肝移植は、1963年にコロラド大学のトーマス・E・スターツル教授が執刀した。1例目から6例目までは、術中もしくは数日以内に患者が亡くなった。1年以上生存できたのは、コロラド大学での6例目(全世界では8例目)の手術だった。それでも患者は13か月後に死亡している。私は高校生の頃にこの話を聞き、まさか自分が外科医として肝移植手術の執刀医になるとは、夢にも思わなかった。スターツル先生は「医学の歴史をひも解くと、昨日は到底不可能だと思われたものが、今日は何となくできそうになり、明日にはルーチンとなっている」という言葉を残している。外科とはまさにこういう領域なのだ。医学生の皆さんも「自分には無理だ」と思っていることでも、いつかはそれが日常的にできるようになると信じてほしい。自分自身で、外科の未来を切り開いてもらいたい。

演者略歴

兼松 隆之 先生
兼松 隆之(かねまつ たかし)先生
長崎大学名誉教授・長崎市民病院理事長
特定非営利活動法人 日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会 理事
地方独立行政法人 長崎市立病院機構 理事長・長崎大学名誉教授

学歴

1971年3月
長崎大学医学部卒業

職歴

1971年4月
九州大学医学部第二外科入局
1976年7月
アメリカ合衆国ミネソタ州Northwestern Hospital病理レジデント
1977年7月
アメリカ合衆国ノースカロライナ州New Hanover Memorial Hospital外科レジデント
1979年4月
九州大学医学部附属病院 助手
1983年7月
九州大学医学部附属病院 講師
1986年8月
九州大学医学部第二外科 助教授
1991年6月
長崎大学医学部第二外科 教授
2002年4月
長崎大学医学部長(平成18年3月まで)
2002年4月
長崎大学院医歯薬学総合研究科移植・消化器外科(組織再編により)教授配置換え
2011年4月
長崎市病院事業管理者・長崎大学名誉教授
2012年4月
長崎市立病院機構 理事長
現在に至る。

国内学会

日本外科学会(2008年会長)、日本臨床外科学会(評議員)、日本再生医療学会(評議員)

国際学会

Fellow of American College of Surgeons(FACS)、国際外科学会日本部会会長

若手心臓血管外科医の日常と夢
長崎大学大学院 心臓血管外科 久冨 一輝先生

写真2-1

私は、2005年に佐賀大学医学部を卒業し、長崎医療センターで初期臨床研修を受けた。2008年に長崎大学病院心臓血管外科に入局後、大分県立病院心臓血管外科を経て、現在は長崎大学病院の心臓血管外科にいる。心臓血管外科のイメージは「かっこいい」「優しい」「冷静」など良いイメージがある一方で、「忙しそう」「きつそう」「なかなか手術をさせてもらえなさそう」「一人前になるのに時間がかかりそう」というものもある。私もかつては、「自分は心臓血管外科に向いているか?」「ハードワークについていけるのか?」「一人前の術者になれるのか?」と不安を抱えた時期はあった。それでも、後悔せずに好きなことを仕事にしたいという思いから、不安を抱えたまま心臓血管外科に飛び込んだ。

写真2-2

実際は予想と大きくは違わなかった。忙しいし、土日に急患があれば呼ばれるし、体力的にきついこともある。ただ、想像以上に手術は楽しく、手術を終えたときの達成感は大きかった。心臓手術に携わる医療スタッフは、心臓血管外科医や麻酔科医だけでなく、循環器内科医や看護師、人工心肺を扱う臨床工学技士、リハビリを担当する理学療法士、薬剤師など多岐にわたる。関係者が多い分、そのチームワークと一体感は強い。心臓血管外科の領域 は、術前の状態が悪いまま行う緊急手術も多く、リスクも高い。だが、手術が成功すると劇的に体力が回復し、元の生活に戻る速度も早い。退院時に患者から「ありがとうございました」と言われると、手術の苦労も忘れて「また次も頑張ろう」というパワーにつながっていく。
私の将来の夢は「一流の心臓血管外科医になること」だ。当たり前のことを当たり前にこなし、難局に出くわしても当然のようにこなせるようになりたい。まだまだ夢は遠いが、今の自分にできること、頑張ればできそうなことを、小さな努力を積み重ねるしかないと思っている。生まれながらの手術の天才などおらず、華やかな成功の裏にあるのは、地味で地道な努力の積み重ねだ。皆さんが外科医としての才能があるかどうかは分からないが、「外科医になりたい」という思いがあれば、それだけで外科医としての素質があると思う。健康な体と「患者を救いたい」という思い、そして地道な努力を積み重ねる強い気持ちがあれば、きっと一流の心臓血管外科医になれるはずだ。

演者略歴

久冨 一輝 先生
久冨 一輝(ひさとみ かずき)先生
長崎大学大学院 心臓血管外科

学歴

1999年
長崎県私立青雲高等学校卒業
1999年
佐賀医科大学医学部医学科入学
2005年
佐賀大学医学部医学科卒業

職歴

2005年
長崎県私立青雲高等学校卒長崎医療センター 初期臨床研修医
2007年
長崎医療センター 外科レジデント
2008年
長崎大学病院 心臓血管外科医員 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科入学
2010年
大分県立病院 心臓血管外科主任医師
2012年
学位取得
2013年4月
長崎大学病院 心臓血管外科 医員
2013年9月
長崎大学病院 心臓血管外科 助教

もし外科の研修医がドラッカーの「マネジメント」を読んだら
京都大学 肝胆膵・移植外科学 准教授 海道 利実先生

写真3-1

雑誌「プレジデント」の記事で「年収2000万の勉強法」という特集が組まれたことがあった。その中で「人生で一番勉強したのはいつですか?」という問いがあった。医師であれば大学受験のころ、あるいは医学部の卒後1~5年あたりが該当するかもしれない。だが、年収が高いビジネスマンの回答で最も多かったのが「いま現在、人生で一番勉強している」(約27%)で、「大学受験のとき」と回答したのは13%程度だった。学生時代の勉強は、いわば勉強のための勉強で、明日からすぐに生活の役に立つものではない。一方で、社会人の勉強は、明日からの仕事に活かせるのが特徴だ。「勉強するのはいつか?」という答えは、まさに「いまでしょ?」と言うしかない。医学生や研修医の中には「医学の勉強はしていますが…」と言う人もいる。だが社会人になると、学校では教わらない、教えてくれないことの方が重要だ。これを学ぶには、人生経験を積み、本を読むしかない。

写真3-2

ドラッカーは著書の中で「顧客の創造」と「マーケティングとイノベーション」を謳っている。これを医療に置き換えて考えてみよう。私にとっての顧客は、患者や上司、同僚・部下、コメディカル、医薬品業界、そしてこのセミナーを聞いている皆さんだ。この顧客に対してマーケティング、つまり顧客ニーズを知り、市場を作らなければならない。患者のニーズは「手術や治療の成功」「早期回復」などであり、皆さんのニーズは「有益な話」「眠くならない」ことだろう。一方、イノベーションとは何か?
イノベーションを巻き起こしたノーベル賞受賞者の山中伸弥先生は、かつての師から「研究に大切なことはVWだ」と言われたという。すなわち「VisionとWork hard」だ。つまり、軸をぶらさずに徹底的にやるということだ。私は紆余曲折の末に今の仕事をしているが、患者に良いと思うことは積極的に導入し、逆に良くないことは躊躇なく止めるというVision を持っている。「ドナーの傷を少しでも小さくし、腹直筋を切離せずに温存したい」という想いから、長崎大学の江口先生、高槻先生と ともに、腹腔鏡補助下ドナー手術を導入した。向上心を持ってやれば、必ずイノベーションを生み出せると思っている。
外科研修医のニーズは「1.手術したい」「2.手術がうまくなりたい」「3.学会発表や論文作成したい」「4.プライベートの時間がほしい」「5.給料を上げてほしい」「6.楽しく仕事をしたい」の6つだろう。当科の手術方針は、「一人のスーパーマンより、多くの『肝移植ができる外科医』を!」だ。誰がやっても同じ手術ができるよう標準化し、後期研修医や若い医師にも積極的に執刀させている。実際に2011年度の教授以外の執刀率は、レシピエント手術の約86.8%、ドナー手術の同98.7%となっている。真面目に研修した外科医にチャンスを与えることで、究極的には「誰でも肝移植ができる」状況を目指している。一方、学会発表については、学会の抄録を完璧に作成し演題応募と同時に論文作成に取りかかれば、学会発表までに論文が完成している。6番については、京セラ創業者の稲盛和夫さんが「人生を極めるには好きな仕事をするべきだが、好きな仕事はなかなか選べない。だから、与えられた仕事を好きになれ」と言っている。アップル創業者のスティーブ・ジョブズは「情熱を持つ人だけが世界を変えられる」と言っていた。せっかくの人生なので、自分の好きなことを見つけて、情熱と高い志を持って取り組んでほしい。

演者略歴

海道 利実 先生
海道 利実(かいどう としみ)先生
京都大学 肝胆膵・移植外科学 准教授
(1963年 3月18日生)福井県福井市生まれ

学歴

1987年3月
京都大学医学部卒業

職歴

1987年5月
京都大学外科学教室入局
1988年4月
公立豊岡病院外科
1992年4月
京都大学大学院医学研究科博士課程入学
1996年3月
京都大学大学院医学研究科博士課程卒業
1998年4月
日本学術振興会リサーチアソシエイト
1999年2月
京都大学 腫瘍外科(旧第一外科)助手
2001年4月
大津市民病院外科医長
2007年4月
京都大学 肝胆膵移植外科 助教
2009年10月
京都大学 肝胆膵移植外科・臓器移植医療部 准教授

所属学会

日本外科学会、日本消化器外科学会、日本肝胆膵外科学会、日本移植学会、日本臨床外科学会、日本肝癌研究会、日本肝臓学会、日本消化器病学会、日本静脈経腸栄養学会、ESPEN、ILTS、他

指導医・専門医・評議員

日本外科学会指導医・専門医、日本消化器外科学会指導医・専門医、日本肝胆膵外科学会高度技能指導医・評議員、日本肝臓学会専門医、日本臓器保存生物医学会評議員、日本移植学会移植認定医、他

受賞歴(2007年以降のみ)

2007年
第19回日本肝胆膵外科学会理事長賞
2008年
第20回日本肝胆膵外科学会会長賞
JDDW2008秀逸ポスター賞 第21回日本外科感染症学会優秀演題賞
2009年
第45回日本肝臓学会総会優秀演題賞
2012年
日本静脈経腸栄養学会フェローシップ賞
2013年
日本肝臓学会 第15回AJINOMOTO Award最優秀研究賞、他

「添う心」~切るからには~ある外科系女子Old Typeのつぶやき
九州医療センター肝胆膵外科部長 髙見 裕子先生

写真4-1

ある心臓外科の女性医師の話が雑誌に掲載されていた。記事には「朝まで患者のベッドサイドにいて、寝ないで術後管理するのが当たり前だった」「研修医の頃は、ICUの床で寝たこともある」と書いてあった。かつては「そんなに熱い先生が世の中にはいるんですね」という感想だったが、次第に「そこまでさせられるなら外科には行きたくないです」となった。ある研修医は「そこまで傍にいられたら、患者さんもウザいっしょ?」という。
若い医師たちを外科に勧誘すると「(患者さんが)急変する診療科はイヤです」という。さらに「ヒトが死ぬ診療科はイヤです」という者まで現れてきた。ここまで来ると、外科医を増やそうとする以前に、患者さんの命を預かる覚悟がある医師をきちんと育てなければならない、 と思う。この会は「きみが外科医になる日セミナー」というが、ここでは外科の勧誘をせず、「添う心~切るからには~ある外科系女子OldTypeのつぶやき」をテーマに話す。

写真4-2

長崎大学を卒業した私は、医師であったポンペ先生のいわば末裔だ。彼は「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」 と言った。消化器外科医として、一度患者さんにメスを入れたからには、ガンを診る医師として最後まで患者さんの傍にいたいと思っている。私がそう強く感じるのは、2人の祖母の死から学んだ。命の終わりの大切さを知るにつけ、「ホスピスの医師になりたい」と強く思った。だが、父の一言で、外科に行く決心をした。「まず治す医者になれ。そこで治せない悔しさを知ってから、ホスピスに行っても遅くない」と。なぜ、医師でもないタオル屋の父がこのような言葉を言えたのか謎だが、ともかく第二外科に入局した。
外科に入ってからも、終末期の患者さんの傍にいたかった。同僚の藤木(藤田)利枝とともに、何も食べられなくなった患者さんの望み通り病室でモツ鍋を作ったり、患者さんとともに温泉に出かけたりした。入院患者さんと福岡ドームで野球観戦したこともある。今思えば厳罰になるかもしれないことだが、当時の指導医や先輩からは「よくそこまで患者さんのことを考えてくれた」と認めてくれた。
患者さんの傍で何を望んでこれまで生きてきたのかを知ることは、終末期医療に携わる医師だけに限った話ではない。手術のために入院した患者さんの人生を知り、人柄を知ることで、患者さんが自分にとって大切な人となり、「この人にもっと生きてほしい」と思うようになる。その思いがとてつもないパワーとなって、何時間にも及ぶ手術をこなすための原動力となる。急性期病院という概念が生まれ、クリティカル・パスが浸透するにつれて、外科医が患者さんの傍に寄り添える時間は短くなってきた。だが、「切る」からには、人の死を預かる覚悟を持って患者さんに寄り添える心をずっと持ち続けたいと思っている。

演者略歴

 先生
髙見 裕子(たかみ ゆうこ)先生
九州医療センター 肝胆膵外科部長
(1965年 9月24日生)愛媛県今治市出身(今治西高)

学歴

1988年3月
九州大学薬学部卒業
1990年4月
長崎大学医学部入学
1996年3月
長崎大学医学部卒業

職歴

1996年5月~1997年3月
長崎大学第2外科(研修医)
1997年4月~1998年3月
九州医療センター外科(研修医)
1998年4月~1999年3月
長崎県立島原温泉病院 外科医
1999年4月~2000年3月
長崎労災病院 外科医
2000年8月~2002年3月
国立療養所村山病院 外科医
2002年4月
九州医療センター肝臓病センター 外科専任レジデント
2002年9月
同肝臓病センター外科スタッフ
2011年7月
同肝臓病センター 肝胆膵外科科長
現在に至る

主たる所属学会

  • 日本外科学会認定医・専門医・指導医
  • 日本消化器外科学会専門医・指導医
  • 日本肝臓学会認定肝臓専門医
  • 日本消化器病専門医
  • 日本がん治療認定医機構がん治療認定医
  • 消化器がん外科治療認定医
  • 日本肝胆膵外科学会高度技能専門医

General Thoracic Surgeryの道を究めたい
九州医療センター肝胆膵外科部長 土肥 良一郎先生

写真5-1

2005年3月に長崎大学医学部を卒業し、長崎市立市民病院で初期研修を受けた。学生の頃は漠然と内科に進むことを考えていた。外科は魅力的であったが、長い時間の手術に耐えられる自信がなかった。初期研修中、ある外科医と出会った。彼は「手術が面白くて仕方がない」と言い、多い日は1日4件の手術をこなしていた。その外科医が熱心に私を外科に 誘ってくれたため、外科に興味は湧いていたが、まだ手術が魅力的だとは思わなかった。周りの医師たちが入局先を次々と決める中、私は初期研修が終了したにもかかわらず、まだ進路を決められずにいた。外科医になるからには、神の手を持つ「スーパードクター」を目指したかったが、実際に自分はそこまで行けるのか自信がなかったのだ。
長崎大学病院での後期研修では、心臓血管外科や脳神経外科など、外科を中心に5つの診療科を回った。そこで一流の外科医と会い、その手技に魅了された。外科医の働きに裏打ちされたオーラがあり、また生き方も魅力的だった。私が一流だと感じた外科医が「君も立派な外科医になれる」と後押ししてくれた。これがきっかけとなり、外科医になる決心がついた。同級生と比べると迷って時間をかけた挙句の選択だったが、今も自分には必要なステップだったと思っている。ここで描いた夢が、今の自分を動かす力となっている。
ただ、一流の外科医にあこがれるだけではなく、そこに近づかなくては意味がない。憧れを現実に変えるには、「適切な領域選択」「適性・才能の有無」「良き指導者に出会う」ことが必要だ。研修医の段階で、本当に適切な領域を選ぶことは難しい。ただ、単純に「楽しい」「興奮する」仕事を選ぶしかない。適性は、自分だけで判断するものではなく、スカウトする側の"審美眼"もある。野球選手などと同様、スカウトは一流の選手を見抜く目がある。そして夢を描いているうちに、きっと良い指導者との巡り合いがある。そのめぐりあわせを信じてみることも大事だと思う。

写真5-2

私の専門領域であるGeneral ThoracicSurgeryの魅力は、エキサイティングな手術ができる点にある。手術の成否が患者の生命やQOLに直結する。術中に心停止し、開胸して心臓マッサージをすることもある。だからこそ、手術はいつも強い緊張感を持って挑む。胸部は重要臓器が密集するため、多種多様で難易度の高い手術手技が開発されてきた経緯がある。いま胸部外科手術で注目すべきは「鏡視下手術」「肺移植」「拡大手術」だ。中でも拡大手術は、微細な腫瘍などを発見・切除できる点で、高い可能性を感じている。
最後に「一流の陰に、もうひとりの一流あり」という言葉がある。良き指導者と出会い、立派な外科医になってほしい。

演者略歴

土肥 良一郎 先生
土肥 良一郎(どい りょういちろう)先生
長崎大学大学院 腫瘍外科
(1965年 9月24日生)愛媛県今治市出身(今治西高)

学歴

2005年3月
佐賀大学医学部医学科卒業

略歴

2005年4月
長崎市立市民病院 初期臨床研修(2年間)
2007年4月
長崎大学病院 後期臨床研修(1年間)
移植消化器外科、心臓血管外科、腫瘍外科、脳神経外科で研修
2008年4月
長崎大学大学院腫瘍外科 入局
佐世保市立総合病院、大分県立病院、長崎医療センターで外科修練
2012年4月
大学院
現在大学院2年生で研究に従事

特別講演 青年よ、熱き心で外科医を目指せ!
順天堂大学 心臓血管外科 教授 天野 篤先生

写真6-1

私が心臓外科医になったのは、父がきっかけだった。高校2年生の時、父が心臓弁膜症で心不全を起こし、救急車で入院した。その姿を見て、いつか医師になって父の力になりたいと思った。浪人して日本大学医学部に入学。医学部2年生の時に、父親が僧帽弁狭窄症を患ったが、生体弁置換術を受けて劇的に回復した。外科治療、とりわけ心臓外科の素晴らしさを間近で感じたわけだ。また研修医のころに消化器系がんの手術を見ていると、根治までに時間がかかり、再発するケースが少なからずあった。これに対して心臓疾患の患者の場合は、手術後は比較的短期間に回復して元通りの生活を謳歌することが多かったように思う。以上の理由から、心臓血管外科になることを決めた。
心臓血管外科医になるために、いくつかの病院を受けたが、不合格になった。できるだけ手術数の多い病院を目指して、高校の先輩がいた亀田総合病院にレジデントとして就職した。ここで初めて完成された冠動脈バイパス術と出会い、同時にこの手術は将来、本流になると思った。この病院では、同年代の外科医よりも圧倒的に多く執刀させてもらった。ここでの執刀数がなければ、心臓血管外科医としての成長はなかったように思う。またここでは、手術の費用対効果についても考えさせられた。手術の道具を無駄にせず、必要なものに投資をしなければならないと教わった。

写真6-2

新東京病院に移った初年度は、30症例程度の手術数だったが、無輸血の心臓血管外科手術の成功が評判となり、5年後には500症例をこなすまでになった。この病院では、常に新しいチャレンジを続ける病院経営者や、尊敬でき憧れを持てる心臓血管外科医と出会ったことが、自分にとって大きかった。結局ここでは、10年間で約3000症例の手術をこなした。手術結果(早期成績+遠隔成績)を出すほど、循環器内科医からの信頼も増して患者を数多く紹介してくれるようになり、その手術が成功するとさらに紹介が多くなるという好循環が生まれたことも大きかった。その後、昭和大学横浜市北部病院の勤務を経て、2002年から順天堂大学医学部の教授として勤務を始めた。順天堂大学では当時、経営再建のために病院診療に力を入れ始めた時期で、そこに私がマッチしたようだ。

冠動脈バイパス術に懸ける

写真6-3

冠動脈バイパス術に最初に出会ったのは、亀田総合病院にいた1985年ごろだ。90年代に心臓血管外科医の須磨久善先生と出会って世界の頂点にある心臓手術を目の当たりにして、目標を具体化することができた。1997年に、心拍動下冠動脈バイパス術(オフポンプバイパス術)と出会って、ライフワークになった。2000年ごろからは、ほとんどのバイパス手術をオフポンプで実施している。
私が心拍動下冠動脈バイパス術にこだわっている背景はいくつかある。1つは、人工心肺を利用した手術よりも圧倒的に患者の死亡率が低いことに加え、10年後の遠隔成績において心停止下冠動脈バイパス術とほぼ有意差がない点だ。2点目に、腎不全・透析患者や糖尿病患者において、心停止下冠動脈バイパス術に比べて生存率が格段に高い。3点目に、糖尿病や高血圧の患者が冠動脈バイパス術を受けても、一般的な寿命とほぼ変わらないという結果が出ている。さらに、カテーテル治療が困難な患者にも心拍動下で安全に手術でき、バイパスが機能すると再治療の可能性が低いことなども、心拍動下冠動脈バイパス術の魅力だと言える。
心臓血管外科診療の分野で「手術が成功する」というのは、術中に患者が亡くならなかったということではない。「心臓や他の臓器に機能障害を残さなかった」「術後の生活を影響するような合併症を起こさなかった」「術前に予想された生活の質に達した」「術後に遭遇する他の病気に対して悪影響を与えなかった」ということだと思う。かつて、今上天皇陛下の冠動脈バイパス術を執刀した後、成功したと思ったのは、手術後すぐではなく、陛下がご公務にご復帰されたまさにその時だった。また、患者だけではなく、家族の健康にも配慮したい。心臓疾患を抱える患者の闘病中に家族が疲れきってしまうようではだめだ。そのために手術を早く(soon & quick)、安く(low cost & unwasted)、うまく(skillful & good-looking)実施するよう心掛けている。

演者略歴

天野 篤 先生
天野 篤(あまの あつし)先生
順天堂大学 心臓血管外科 教授
(1965年9月24日生)愛媛県今治市出身(今治西高)

2013年1月18日現在

生年・年齢

1955年10月生まれ(満57歳)

学歴

1974年3月
埼玉県立浦和高等学校卒業
1983年3月
日本大学医学部卒業
1983年5月
医師国家試験合格

学 位

2001年4月取得

略歴

1983年6月~1985年5月
関東逓信病院臨床研修医(現 NTT東日本関東病院)
1985年6月~1991年3月
亀田総合病院心臓血管外科(1989年~心臓血管外科医長)
1991年4月~2001年3月
新東京病院心臓血管外科(1994年~心臓血管外科部長)
2001年4月~2002年6月
昭和大学横浜市北部病院循環器センター(センター長・教授)
2002年7月~現在
順天堂大学大学院医学研究科 心臓血管外科学(教授)
(併任)順天堂大学医学部外科学教室 心臓血管外科学講座(教授)

専門分野

  • 虚血性心疾患(Off-pump冠動脈バイパス術)
  • 弁膜症(弁膜症再建外科)
    ※通算手術数 約6,000例
  • 冠動脈バイパス術 4,000例以上(うちOff-pumpバイパス術 3,000例以上)

学会指導医等

日本胸部外科学会指導医、日本外科学会専門医・指導医、日本循環器学会専門医など

所属学会

AATS(American Association for Thoracic Surgery)、米国STS(Society of Thoracic Surgeon)、アジア心臓血管外科学会、日本心臓血管外科学会、日本外科学会、日本胸部外科学会、日本心臓病学会、日本冠動脈外科学会、日本冠疾患学会、日本循環器学会、Best Doctors Japan medical advisory board など

2012年5月
千葉県松戸市より、松戸市民栄誉賞授与
2012年10月
埼玉県蓮田市より、蓮田市民栄誉賞授与
2012年11月
埼玉新聞社より、埼玉文化賞(社会文化部門)授与

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