特定非営利活動法人 日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会(若手外科系医師を増やす会)

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若手外科医よ、世界に羽ばたけ
名古屋で第5回きみが外科医になる日セミナー

目次

外科医を目指して
名古屋セントラル病院 初期研修医 山田 裕宜先生

写真1

医師を目指したきっかけはいくつかある。
薬剤師の母と歯科医師のおじがいて、医療になじみがあった。中学生の時にブラック・ジャックの漫画を読んで感動したこともあった。出身の東海高校では、医学部志望の生徒が多かったこともあって、医学部に入学した。大学時代は、お世辞にもまじめな学生とは言えなかった。
週3回はラグビー部で汗を流し、アルバイトに精を出した。追試や再試の回数も数えきれない。
医学部の実習でも、飲みに連れて行ってくれそうな医師がいないか探していたくらいだ。
診療科を選ぶ際、頭だけではなく、自分の手も動かす診療科に進みたかった。外科はノリが体育会系だったので選んだ。夜は目いっぱい飲んでいても、翌朝の手術をバシッと決める外科医たちが、とてもカッコ良く映り、外科を選ぶことにした。外科は、外来や病棟業務に加えて手術をするので仕事量も多く、緊急手術も多いのでなかなか気持ちが休まらないこともある。しかし、自分の手にスキルが身に付く実感があり、そのスキルで患者が元気になり、退院していくときの喜びは大きい。
外科系研修をする際は、最初は言われたことをやる、次にそれをうまくやれるように努力する、そして「次に何が必要なのか」と自分で考えて行動すべきだ。間違っても、先輩が「それは違う」と教えてくれる。言われたことだけをやるのではなく、積極的かつ自発的に頭と手を動かして有意義な研修にしていくべきだ。「自分は内科志望だから」と外科のローテートをなおざりにするのはもったいない。たとえ糸結びの研修であっても、学ぶべきことは多いし、当初は考えもつかなかった発見があるかもしれない。幅広い視野を持ち、どんな研修でも積極的に取り組んでほしい。

演者略歴

山田 裕宜 先生
山田 裕宜(やまだ ひろのり)先生
名古屋セントラル病院 初期研修医

学歴

2007年3月
私立東海高校卒業
2007年4月
私立東海高校卒業
2013年3月
国立三重大学卒業

職歴

2013年4月
名古屋セントラル病院 初期研修開始

5年目外科医の、ちょっと刺激的な日常
藤田保健衛生大学 総合外科・膵臓外科 後期研修医 林 千紘先生

写真2

自分が医学生の時「みんなどうやって医局(これから進む診療科)を決めるんだろうか?」と悩む時がある。「実家が開業医だった」「小さい頃から○○医にあこがれていた」「ドラマや漫画の影響」と、様々だ。私が外科を選んだのは、実際にローテートしていて一番楽しかったからだ。自分が縫合した傷が治癒し、入院患者が術後元気になって退院する姿を見て、やりがいと充実感があったからだ。これまで術者として120件、助手として200件の手術に携わり、外科専門医の予備試験にも合格できた。子どもの成長のように、ゆっくりとではあるが着実に成長しているのが分かる。不安がないわけではないが、素敵な先輩に支えられていることが心強い。
“外科医”には“休みがない”というイメージが付きまとっているが、実際はもう少しプライベートの時間がある。長期休暇が取れれば旅行にも行く。入局してからもバリ島に旅行したし、2013年は皆既日食を見るためオーストラリアにも行った。エジプトで開かれた学会では、ついでにピラミッドを見にに行ったりもした。またプライベートでは中型二輪の免許を取得してツーリングしたり、休日は愛車でドライブして楽しんだりもする。掃除機や洗濯乾燥が進歩して、家事に割く時間が先輩外科医が若手だったころに比べて短くなっているのがうれしい。
もちろん、休日に病院に行くこともある。
しかし、患者さんや病院スタッフから「日曜日も大変だね」「先生、わざわざ来てくれてありがとう」とねぎらう声がある。自分が手術した患者さんからの言葉は、格別だと思う。医師になったからには、自分の手で患者を治す喜びをぜひ実感してほしい。

演者略歴

林 千紘 先生
林 千紘(はやし ちひろ)先生
藤田保健衛生大学 総合外科・膵臓外科 後期研修医

学歴

2009年3月
藤田保健衛生大学卒業

職歴

2009年4月
藤田保健衛生大学病院 初期研修開始
2011年4月
藤田保健衛生大学病院 総合外科膵臓外科入局 後期研修開始

外科医の幸せ、次の10年を創るきみたちへ
名古屋大学大学院 医学研究科 消化器外科学 高野 奈緒先生

写真3

外科医になって6年目で、外科専門医を取得した。現在10年目で駆け出しとも言えるが、「幸せか?」と聞かれれば、間違いなく「Happyです」と答えられる。外科医だからこそ、そう答えられることも大きい。
おじが研究医だったので医師という職業は身近だったが、臨床をするという実感はあまりなかった。医学部に入った後に父が亡くなり、病理解剖に立ち会った。ここで臨床に携わる実感がわき始めた。ある時、なかなか患者さんの出血が止まらない難手術に立ち会った。若手の医師たちがどれだけ頑張っても出血がある。焦り始めたとき、出張から帰ってきたベテラン外科医が手術室に来て、止血した。一瞬だった。「これが外科医か」という印象が残り、気が付けば外科を志望していた。
初期研修医の同期は13人中8人が女性だったが、外科志望は私だけだった。最初はアッペやヘルニア、ラパコレの手術をするが、うまくできないし理屈もわからないことだらけだった。悔しくて涙が出ると、先輩から「女は泣けばすむと思ってるだろう」と言われた。合併症や、直せないことの辛さも味わったが、それを受け入れて乗り越えていこうと思った。後期研修ではボロボロの官舎で、ほぼ病院のソファで寝泊まりしていた時期があった。「できた」「わかった」が次々出てきて、初期研修で悩んでいたことを乗り切れられるようになった。手術が楽しくなっていた。チーフレジデントのころは、難易度の高い手術を任せられるようになり、後輩を指導する機会も多くなってくる。その分、スキルアップしているという充実感があった。
自分を育ててくれたのは先輩外科医であり、そして患者さんだと思っている。直腸がんを再発したあるおばあちゃんがいた。病院に通うことも辛そうだったが「先生に会いたくて頑張ってきている」と言ってくれた。私が治療方針に迷った時は「先生が決めたことだから(気にしなくて)いいのよ」「もう少しだけ長生きしたいの、お願い」と言われた。望みの薄い手術をして結局はうまくいかなかった。亡くなる直前「先生、幸せになってね。今までありがとう」と言われた。患者さんがいるから頑張れるのだと強く思った。
外科医が最初から手術をうまくこなせる訳ではない。おそらく、ベテランの外科医ですらも技術の壁にぶつかることはある。ただ、自分ができないということを知り、努力できることこそ才能であり、外科に向いていると言うのだろう。患者さんの体にメスを入れることで、プレッシャーと責任を感じる。それは苦しみと言えば否定はできないが、それ以上に治した時の価値は大きい。患者さんに深く関わることは、小さな手術であっても大きな手術であっても同じだ。患者さんとともに外科医がいるのだと日々感じている。
中には「外科医を続けるには女を捨てるしかない」という声もあるが、私はそうは思わない。男を捨てている外科医がいないのと同じで、女性のままで患者さんにとって最善を尽くせばいいと思っている。妻らしいことは何一つできていないかもしれないが、理解ある泌尿器科医の夫と私たち2人を支えてくれる母のおかげで豊かな人生を送れている。「子育てしながら外科医ができるのか?」と聞かれることもある。そう望んで実行していくことで、その望みを叶えていけばいい。自分がなりたい姿をイメージすれば、必ず叶うと信じている。これからも、強くしなやかに、そして美しく生きていきたい。

演者略歴

高野 奈緒 先生
高野 奈緒(たかの なお)先生
名古屋大学大学院 医学研究科 消化器外科学

学歴

1996年3月
愛知県立旭丘高校卒業
1996年4月
横浜市立大学理学部入学
1998年
横浜市立大学理学部中途退学
1998年4月
宮崎医科大学医学部(現宮崎大学医学部)入学
2004年3月
宮崎医科大学医学部(現宮崎大学医学部)卒業

職歴

2004年4月
国立病院機構名古屋医療センター 初期研修医
2006年4月
同 外科レジデント
2008年4月
同 外科スタッフ
2013年4月
名古屋大学大学院医学系研究科消化器外科 社会人大学院生
2013年10月
中津川市民病院 外科 副部長として(短期赴任)

メスを持った内科医として
藤田保健衛生大学 下部消化管外科 講師 勝野 秀稔先生

写真4

研修医時代はPCI(経皮的冠動脈形成術)に興味があり、循環器内科を志していた。同時に外科手技にも興味があったため、外科系のローテーションを組んで、CVカテーテル挿入などの手技や外科処置を身につけた。徐々に外科へ関心が深まり、研修医生活が終わる段階では、外科医になることを選択した。外科のチームワークの良さが決め手になったが、外科医に行き詰まったら内科医に転身できるかもと思った。
藤田保健衛生大学、下部消化管外科の教室員は丸田守人前教授、前田耕太郎教授からの教えを大切にしている。「メスを持った内科医として」に込められたメッセージは、優秀な外科医になるためには、まず優秀な内科医である必要があり、 専門分野化が進んだ現代医療の現場においても外科医には十分な内科的知識を兼ね備えることが必要不可欠であるという意味である。
大学での研修医生活の後、1998年に東京都済生会中央病院、1999年に足利赤十字病院に赴任したが、この2年間は外科医の礎を築く貴重な修練期間であった。他大学出身の多くの同僚と切磋琢磨し、専門分野の異なる上司の先生達との手術から得られた経験や人脈は15年ほど経過した現在でも宝物である。2006年から1年半の英国留学を経験し、色々な意味で視野が広がったため、若い先生達にも積極的に海外進出することをお勧めしたい。また、各学会が定める様々な資格制度があるが、日本外科学会の専門医は全てのベースになるものであり、可能であれば早期に取得されることを望む。
下部消化管外科領域で我々が取り組んでいる最新の治療法について簡単に紹介しよう。「腫瘍」、「炎症性腸疾患」、「機能性疾患」の3分野に分けると、腫瘍領域では直腸癌に対するda Vinci Surgical Systemを使用したロボット手術がホットだ。より質の高い手術が提供できると考えている。
炎症性疾患の分野では、クローン病に対するKono-S吻合がある。吻合部狭窄のため、再手術を余儀なくされる若い患者は「学校に行けない」「このままでは就職できない」という悩みを抱えている。Kono-S手術により再発率ゼロの手術に取り組んでいる。
機能性疾患の分野では、SNM(仙骨神経刺激療法)に着目する。20-65歳の年齢層では4%に「便が漏れる」を体験しており、これを改善するために力を注いでいく。
「メスを持った内科医として治療に貢献できた喜び=priceless」、外科医は手術という手段によってダイレクトにそれを実感できる職業だ。研修医、医学生の皆さんにその気持ちを伝え、一人でも多くの方が共感して、外科医としての一歩を踏み出してくれることを切に願っている。

演者略歴

勝野 秀稔 先生
勝野 秀稔(かつの ひでとし)先生
藤田保健衛生大学 下部消化管外科 講師

学歴

1990年4月
藤田保健衛生大学医学部入学
1996年3月
藤田保健衛生大学医学部卒業
2000年4月
藤田保健衛生大学大学院医学研究科 博士課程入学
2004年3月
藤田保健衛生大学大学院医学研究科 博士課程卒業

学歴

1996年5月~1998年3月
藤田保健衛生大学病院 研修医
1998年4月~1999年3月
東京都済生会中央病院 外科医員
1999年4月~2000年3月
足利赤十字病院 外科医員
2004年4月~2005年3月
藤田保健衛生大学医学部 助手(定員外)
2005年4月~2006年3月
藤田保健衛生大学医学部 助手
2006年4月~2007年9月
英国留学
(Imperial College London, Western General Hospital in dinburgh)
2007年10月~2008年9月
藤田保健衛生大学医学部 助手
2008年10月~2013年3月
藤田保健衛生大学医学部 講師(定員外)
2013年4月~現在
藤田保健衛生大学医学部 講師

所属学会

日本外科学会会員、日本消化器外科学会会員、日本大腸肛門病学会会員、日本消化器内視鏡学会会員、日本消化器病学会会員、日本内視鏡外科学会会員、日本臨床外科学会会員

指導医・専門医・認定医

日本外科学会専門医・指導医、日本消化器外科学会専門医・指導医、日本大腸肛門病学会専門医・指導医、日本消化器内視鏡外科学会専門医、日本消化器病専門医、日本内視鏡外科学会技術認定医、消化器がん外科治療認定医

新しい手術への挑戦!~ロボット手術を中心に~
藤田保健衛生大学 医学部 上部消化管外科 教授 宇山 一朗先生

写真5

いち早く国内にダ・ヴィンチを導入して、いつのまにか“ ベテラン ”と呼ばれる外科医になったが、実は岐阜大学医学部6年生での臨床実習まで、内科医を目指していた。当初は膠原病の治療に携わりたいと思っていた。臨床実習で外科手術を見たところ、自分で治すことの達成感を感じてしまい、一転、外科医を志望した。慶應義塾大学の外科学教室では外科医としての最初の基本技術を教わることになった。ここで外科医のタブーとは「見たことのない、教わったことのない手術はできない」「症例数をこなして慣れた手術しかできない」だと教わった。
外科医として歩んだ道は、タブーへの挑戦の連続だった。例えば97年当時、腹腔鏡下で膵臓縁リンパ節郭清手術を行うことや、腹腔鏡下胃全摘・腹腔鏡下食道空腸吻合などは禁忌とされていた。「超音波凝固切開装置はがん細胞を散布する」「腹腔鏡用鉗子による把持ががん細胞を散布する」「小さい術創の効果は一時的だ」と考えられていたからだ。だが私には「腹壁破壊を軽減すれば低侵襲になる」「腹腔鏡でも開腹と同等の手術ができる」という信念があった。あえて難題にチャレンジして、成果を出してきた。学会で発表すると「患者を実験台にしている」と批判も受けたこともある。だが正しい信念に基づき、医学的なデータやエビデンスを出しながら結果を出せば、それがスタンダードになる。それが外科の魅力でもある。
低侵襲を突き詰めた結果、2009年ごろからは、ロボット支援手術にも力を入れ始めた。腹腔鏡は、開腹と比べて手術時間は長いが、出血量は少ないし術後疼痛も明らかに軽減され、結果として退院までの日数は短くなる。全身合併症の割合も、開腹と同等あるいは軽減されることが多い。
ただし、開腹の場合と比べて腹腔鏡下でも局所合併症の発症率は変わらなかった。低侵襲手術を、真の意味で“ 低侵襲 ”とするには、RoboticSurgeryの導入が不可避だと感じた。そこで2009年に国内でいち早く手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」を取り入れ、約5年間で270例を超える手術を手がけてきた。食道切除は40例、胃切除は170例、肝臓切除は43例実施した。例えば胃がんの切除を見ると、従来の腹腔鏡手術438例とロボット支援手術88例を比べたところ、ロボットを使うと局所合併症が5分の1になっている。ロボット手術により局所合併症を軽減できていることが分かる。「ロボットを使えば、開腹術を凌駕する低侵襲手術ができる」ことが、私のライフワークになっている。
外科医の仕事とは、確実な基本手技に基づいた挑戦と批判から、新知見を模索することだ。やりがいがあり、素晴らしい仕事だと感じる。ぜひ、みなさんの手で新しい外科の領域を見つけ、開拓してほしい。

演者略歴

宇山 一朗 先生
宇山 一朗(うやま いちろう)先生
藤田保健衛生大学 医学部 上部消化管外科 教授

学歴

1985年3月
岐阜大学医学部 卒業

職歴

1985年4月
慶應義塾大学外科学教室入局
1988年5月
慶應義塾大学外科学教室助手
1991年5月
練馬総合病院外科医長
1997年5月
藤田保健衛生大学医学部外科学講師
2002年4月
藤田保健衛生大学医学部外科学助教授
2006年5月
藤田保健衛生大学医学部外科学教授

主たる学会認定医・専門医等

  • 外科学会専門医/指導医
  • 消化器外科学会専門医/指導医
  • 消化器病学会専門医/指導医
  • 食道学会認定医/食道外科専門医
  • 日本内視鏡外科技術認定医

日本における腹腔鏡手術のパイオニア。1997年に腹腔鏡による胃の全摘手術を実施。現在は、内視鏡手術用ロボット「ダヴィンチ」を使用したロボット支援手術の技術向上と発展に取り組んでいる。

2012年10月29日:10月29日発売の週刊現代に掲載されました。

週刊現代11月10日号『日本にいる「ノーベル賞級の名医」ベスト30』に選ばれました。
腹腔鏡手術による胃切除術で胃の全摘出に世界で初めて成功、「ダ・ヴィンチ」による胃がんや食道がんの手術を日本で初めて成功させた医師として紹介されました。

2013年04月20日:ロシアで行ったlive surgeryおよびlectureの模様が現地のニュースで報道されました。

4月15日~18日 ロシア・サンクトペテルブルグのSocolov Hospital・122病院で須田康一先生、石川健先生とともに行った腹腔鏡下幽門側胃切除のlive surgeryおよびlectureの模様がロシアのニュースで報道されました。

2013年01月20日:第5回日本ロボット外科学会学術集会の会長を務めました。

平成25年1月19日(土)名古屋国際会議場にておこなわれた第5回日本ロボット外科学会学術集会の会長を務め、盛況のうちに修了いたしました。

大きな期待のかかる女性外科医の皆様へ~抱いた夢を伸ばして下さい~
藤田保健衛生大学 医学部 脳神経外科 教授 加藤 庸子先生

写真6

日本の外科技術は世界一と言ってもいい。
この外科技術を支えているのは、チームワークだ。外科医に求められる能力を1つ挙げるならば、医師や看護師、患者とのコミュニケーション力だと思っている。コミュニケーションをきちんと取り、チームワークを万全にすれば、外科医にとってリスクと見られがちな医療訴訟や医療事故は、それほど大きな問題ではなくなるはずだ。このチームワークを語る上で、女性医師の存在を抜きには語れないだろう。
現在、医師の5人に1人は女性だ。だが外科領域において、女性医師を取り巻く環境が良いかと問われれば、首をかしげざるを得ない。例えば脳外科の女医率は5.3%しかない。男性外科医の婚姻率は9割以上を占めるが、女性外科医の60%近く未婚のままだ。日本では、まだまだ医師のジェンダーギャップがある。これは医師に限った話ではない。先進国では、議員や医師などの一定割合を女性に割り当てる「クォータ制」を導入する国が多くなっているが、日本ではまだ不十分だ。
だが一方で、20~30代のいわゆる「カデット世代」の行動を見ていると、若手男性医師たちは仕事や飲み会よりも育児に専念しているようだ。女性が出産・子育て中の10年の期間を支えるには、女性外科医が働く環境と制度の改善が必要だろう。加えて、女性医師自身が臆することなく環境改善の声を上げて行かなければならない。例えば藤田保健衛生大学では、週40時間労働のフレックスタイムを導入。子育て中の女医は週20時間の短時間就労が認められている。手術はA先生で術後管理はB先生と、シフト制などで対応しており、それを支える医局にもインセンティブ(報酬)がある。また「女性医師の会」を創設して女性医師サロンを設けるなど、女医が発言する機会を増やしている。
私は、スーダンやカンボジアなど途上国地域でも外科医を増やす活動をしているが、環境の整っていない国ほど、外科医が生き生きと仕事している。それを見るにつけ、女性医師が働きやすい環境が整っても、活かさないと意味がないと痛感する。急がず、決してたゆまずチャンスを生かしてほしい。

演者略歴

加藤 庸子 先生
加藤 庸子(かとう ようこ)先生
藤田保健衛生大学 医学部 脳神経外科 教授
藤田保健衛生大学医学部 脳神経外科教授
藤田保健衛生大学病院 救命救急センター センター長

学歴

昭和53年3月
愛知医科大学医学部卒業
昭和56年9月
中華人民共和国蘇州医学院付属第一病院脳神経外科留学
昭和61年4月
オーストリア、グラーツ大学留学
  • 日本脳神経外科専門医(昭和60年8月2日取得 №1804)/ ・日本脳卒中学会専門医(平成15年取得 №20030367)
  • 臨床修練指導医(平成16年5月取得)
  • 日本神経内視鏡技術認定医(平成18年12月取得)
  • International Federation of Neuroendoscopy Board–Certified Instructor of Neuroendoscopic Surgery(No.0011)
  • 日本人間ドック学会 人間ドック認定医4228号取得

職歴

昭和56年3月
足利赤十字病院脳神経外科
昭和57年8月
トヨタ記念病院脳神経外科
昭和59年4月
藤田学園保健衛生大学脳神経外科助手
平成3年4月 藤田保健衛生大学脳神経外科講師
平成12年4月 藤田保健衛生大学脳神経外科助教授
平成18年4月
藤田保健衛生大学脳神経外科教授
平成20年4月
藤田保健衛生大学病院 救命救急センター 副センター長兼任
平成22年4月
藤田保健衛生大学病院 救命救急センター センター長

学会及び社会活動

  • 日本脳神経外科学会 評議員
  • 日本脳卒中学会 評議員
  • 日本脳卒中の外科学会 代議員
  • 日本脳神経外科救急学会 新常任理事
  • 日本脳ドック学会 評議員
  • アメリカコングレス脳神経外科学会会員
  • アメリカ脳神経外科学会会員
  • 日本脳死・脳蘇生学会 理事
  • 日本脳腫瘍の外科学会 評議員
  • 日本脳ドック学会 理事(2012年より)
  • 社団法人日本臓器移植ネットワーク臓器提供施設委員会委員
  • 日本脳神経外科学会 理事(2013年9月より)
  • 日本性差医学・医療学会 理事(2013年2月より)
  • 社団臓器提供施設委員会委員(2013年11月~2015年9月30日まで)
2011年9月
日本意識障害学会 理事長
1990年10月
日本脳神経外科女医会(WNA)設立
1996年12月
Asian Women's Neurosurgical Association設立
2000年11月
President of the 3rd Asian Conference of Neurological Surgeons
2000年11月
President of the 4th Asian Women's Neurosurgical Association Conference
2001年
Assistant Secretary of WFNS (World Federation of Neurosurgical Societies) Board of WFNS Foundation Committee
2003年
WFNS Committee Chairman of Women in Neurosurgery
2007年
Secretary of WFNS Foundation Committee
2003年1月
術中画像研究会 世話人
2003年4月
厚生科学研究費補助金医療技術評価総合研究事業 Evidenceに基づく日本人脳出血患者の治療ガイドライン策定 研究協力者
2003年11月
国際脳低温療法学会組織委員会委員
2003年12月
日本神経内視鏡学会ワーキング委員
2004年 2月
日本神経放射線学会評議員
2005年 2月
日本脳神経外科救急学会幹事
2005年 5月
医療福祉タウン研究会副会長
2007年11月
第7回術中画像研究会会長
2008年4月1日~2013年3月31日
日本人間ドック学会
2008年4月1日~2011年3月31日
日本脳神経外科救急学会 幹事
2009年1月
東海総合画像医学研究会 世話人
2009年9月~
WFNS Education & Training Committee, Chairman
2009年9月
Associate Editor of Neurosurgery
2009年
Member of Editorial Board for Romanian Neurosurgery Journal
2010年
日本ニューロリハビリテーション学会(JSNRNR) 副代表(WFNR Ambassador)
2010年
Member of World Academy of Neurological Surgeons (WANS)
2011年1月
第16回日本脳神経外科救急学会 会長
2013年7月
第16回日本脳低温療法学会 会長
2015年3月
第44回日本神経放射線学会 会長
2016年1月29日~2月2日
2016 International Mt. BANDAI Symposium for Neuroscience
  • Editorial and Federation Committee for World Federation of Neurosurgical Societies
  • Advisory Board for the Tenth Asian- Australasian Congress of Neurological Surgery
  • Editorial Board for Perspectives in Neurological Surgery
  • Advisory Board for Minimally Invasive Neurosurgery
  • Member of International Advisory Board for Pan Arab Journal of Neurosurgery
  • Advisory board of Neurosurgical Review (Springer-Velag)
  • Active Member of Academia Neurochirurgica Eurasiana
  • Honorary Life Members for the Bangladesh Society of Neurosurgeons
  • Assistant Secretary of Bidding Committee, 15th WFNS World Congress in 2013
  • General Secretary, 13th WFNS Interim Meet / 12th AASNS
  • 2007 Deputy editor of Asian Journal of Neurosurgery
  • Mainz大学 客員教授(ドイツ)
  • George Washington大学 客員教授(アメリカ)
  • Sri Ramachandra Medical College & Research Institute客員教授(インド)
2002年5月
First Military Medical University客員教授
2002年7月
Louisiana State University Health Sciences Center客員教授

賞罰

1978年3月
愛知医科大学学長賞
1993年
関東脳神経外科懇話会Award of Excellence
1994年
日本女医会 吉岡弥生賞
1995年
First place in the poster competition of the fourth International Conference on Cerebrovascular Surgery
2002年 / 2003年
Awarded best contributed paper-oral presentation from North American Skull Base Society
2013年10月
臓器移植対策推進功労者校正労働大臣感謝状 授与

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